ダンスが上達するために何をするか?
それは『練習』ですよね。
何をするのもそうですが、練習なくして上達はありえません。
その練習の中でも質の良い練習と、せっかく時間や労力をかけても成果の得られにくい残念な練習があります。
今回は皆さんがそんな残念な状態に陥らないように、あえて残念な練習方法をご紹介します。
レッスンで習ったことを復習しない
レッスンを受けると、大なり小なり学びがあるものです。
その学んだ内容が自分の中に定着するためには復習が必要です。
復習のない練習は砂漠にただ水をまくのと同じで、まいてもまいても何の変化もありません。
成長のためには得られたものを自分の中に取り込みつつ、さらに膨らませることが肝心です。
ただ、ダンスの場合はわざわざ復習の時間という枠組みを作る必要まではないと思います。
復習するべき内容を普通に踊っている中で意識すれば、それが復習につながるからです。
問題点を放置する・それしか見ない
パートナーと練習で踊っていると、なんらかのトラブルによって踊るのを途中でやめてしまうということがありませんか?
そのトラブルの程度は軽い違和感程度のものから踊りの継続が不可能なほどの大きいものまで本当に様々です。
このように踊りの明らかな問題点というものが、カップルで踊っていると頻発します。
この『問題点』の取り扱い方にポイントがあります。
問題点を試行錯誤する経験
問題点の解決に向かって試行錯誤すると、その場で問題点が解決しなくても試行したぶんの経験というものが確実に蓄積されていきます。
パートナーと相談していろいろな意見を出し合って、上手くいく方法を見いだせれば最高ですね。
自分たちで1日解決に向けて努力したけどダメだった。
次の日コーチャーに相談したら3分で解決した。
なんてこともあります。
けれど、自分で考えて試すことに無駄ということはないんです。
成功したならそれはそれで良し、解決しなくても解決しなかったという結果を踏まえて次の練習に生かすことができます。
先程のたとえで、コーチャーに3分でなおしてもらった部分、ちゃんと定着しますか?
まる1日がかりで解決しなかったことが解決すると、そのことについて強烈なインパクトと共に記憶に残りますよね。
問題点をとりあえず放置して、次回のレッスン時に「ここやりにくいんですが…」で3分で解決した後、その記憶は残りますか?
そういう記憶はその時は覚えているのですが、3日もすれば記憶が薄れてまた同じところがやりにくくなってくるものです。
これも試行錯誤の経験蓄積の効果です。
ただし、ダメなことを何も考えずに何度試しても、それは無駄です。
ちょっとしたトレーニングにはなるかもしれませんが、ダンスの上達にはつながりません。
こだわりすぎるのも良くない
私たちは夫婦でカップルを組んでいたので、練習の時間は比較的取りやすかった、というより日常のちょっとしたすきま時間にでも踊ろうと思えばそれができる環境でした。
けれど、仕事等が忙しかったり、パートナーが遠方で移動が大変だったり、練習場の確保が必要だったり。
これら時間・距離・場所は解決が難しい問題です。
こうした理由からなかなか練習の時間が取れないこともあります。
そんな中試行錯誤に時間を取りすぎるとどうでしょう。
一度も踊らないまま大した進展なくその日は終わりとなると、何のために時間を取ったのかわからなくなりますね。
こうした練習は上記のように完全に無駄にはならないまでも、もっと違う練習の方がいい結果が出るかもしれません。
というよりもメンタルの方に悪影響を及ぼしやすいです。
経験を積んだ分、メンタルの悪化や、違う部分の成長の機会の損失があれば採算が合うでしょうか?
さっきのたとえのように自分たちで時間をかけなくてもコーチャーに相談してすぐに良くなることもあります。
このことについて明確な正解はありません。
自分たちが限られた練習時間の中でどのようにバランスを取るか、何をすることが最も効率が良くなるのかを考えましょう。
とりあえずやる
社交ダンスの競技には学連というものがあって、その練習はそれは厳しいものだそうです。
ボックス練習と言って、長いワルツの曲をかけて前後ベーシックのステップを曲の間ずっと続けたりするらしいです。
こうした練習は精神と持久力の維持に効果がありそうです。
が、何かアクションを起こすのならその中からできるだけ多くの学びを得たいものです。
ただただ無心で時間が過ぎるまで動き続けるのと、動いている間中軸を保ち続けるように意識するとか、体重移動を滑らかにするようにコントロールするとか、なんらかの目的意識があると踊りが目に見えて違ってきます。
「近所の公園を散歩していたらいつの間にか富士山の頂上に来ていた。」なんてことはありえないという例えを耳にしました。
面白いと思ったのでここでも使わせていただきます。
何が言いたいのか?
要するに目的もないのに高みに至ることはないということです。
練習のときには、テーマであったり自分の目標であったりを明確にしておくと上達します。
精神的にも、技術的にも。
パートナーをリスペクトしない
社交ダンスをパートナーと練習している人は、一度くらいは相手と険悪な雰囲気になったことがあるでしょう。
もしケンカしたことのないカップルは、まだ日が浅いか真剣にやっていないカジュアルなものかのどちらかではないでしょうか。
たいていのケンカは自分の思ったように踊れないイライラから始まるものです。
つまり、パートナーが邪魔で上手く踊れないと思っているわけです。
ケンカ・議論は上達に必須
悪い書き方をしましたが、そうした悪い部分を指摘するのはダンスの上達のためには絶対に必要です。
ですが、そうした指摘をするときに、またはされたときにちゃんとパートナーをリスペクトしていますか?
リスペクトってなんやねん、横文字わからん、と私自身も思いますので日本語でいうところの『尊重する、敬意を払う』というニュアンスでとらえていただけると幸いです。
踊りにくいという指摘は耳の痛い話で、受け入れるのに痛みを伴います。
それをわかった上で伝える側は相手の気分を害しないように配慮が必要ですし、言われた側も反射的に反論しないで一度飲み込んでみることが大事でしょう。
そうした上で議論のうえケンカに発展したのなら、それはそれで仕方のないことかもしれません。
熱が入るから議論もヒートアップしてケンカになりますしね。
こういうときは一度時間をおきましょう。
第三者に仲裁してもらうのは個人的にはおすすめしません。
リスペクトのないケンカをすると…
逆にリスペクトのない場合、全く上達が望めないばかりか、相手の言うことを全く聞き入れない、関係のない事由を持ち出して反撃する等ただただ不毛な論争に陥ります。
こうなってくると暴言、暴力などに発展していきます。
リスペクトのない指摘は言いたいことを言ってすっきりするだけの暴言ですし、指摘に対してのノーリアクションは相手を無視してバカにしているのと何ら変わりません。
議論やケンカはもともとの踊りにくさという問題を解決するためのツールです。
本当はダンスのことを真剣に考えて上達に向かっていればこうしたことは起こり得ないことなのですが。
男女の仲でも言えることですが、誰と付き合っても暴力を振るわれるような人は、自分が暴力を振るわれる人と付き合い始める、のではなくて自分が暴力を振るう人間を育てている可能性が考えられます。
また、過失の割合からすると手を出した方が悪いということになりますが、殴ってみろと挑発しておいて手を出されたら被害者面をする。
そもそも人間としてそれはどうなのか?と思います。
話をもとに戻して…。
踊っていてイライラしたときに思い出してほしいことがあります。
それは、『相手が踊りやすくなれば自分も踊りやすい』です。
相手が踊りやすくなれば自分も踊りやすい
人間は白か黒かの二元論で物をとらえることが多いです。
ですので社交ダンスの場合、あるステップを踊る際に
自分が踊りにくい → 相手が悪い。
となります。
ですが現実はそう単純ではありません。
自分がミスする → そのミスによって相手がミスする → そのミスによって自分が踊りにくい → 結果ミスする。
これは相手が悪いのでしょうか?
物事には必ず因果応報があります。
今起こっているミスの因果はどこにあるのでしょうか?
このような自分が相手の邪魔をしているかもしれないという視点はなかなかに持ちにくいものです。
では、自分のミスがなくなればどうなるでしょう。
相手のミスもなくなり、結果自分が踊りやすくなりますよね。
せっかくカップルとして頑張っているのですから、お互いが気持ちよく踊れるようにお互いを尊重しましょう。
『ダンスが上手くならない…残念な練習方法』まとめ
今回はいくつかに分けて残念な練習方法を紹介しました。
これらの方法は、つまるところ思考停止です。
何も考えずにただただ続けていても向上は望めません。
自分が上達するために何が必要かを常に分析し、実践しましょう。
そして自分だけがよければいいという視点を捨てて、みんなで楽しく踊れるように意識を持ちましょう。
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